ご縁をいただく

塚坊主

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の御法語が記録されております、高僧和讃のご文のひとつに次のようなものがあります。

「これまで私は多くの命を生まれ変わりしてきたのに、迷いの世界から離れるための強いご縁に会うことはありませんでした。師である法然上人がおられなかったら、この度の人生も空しく過ぎていったことだろう。」

親鸞聖人が浄土宗の宗祖・法然上人との出遭いを心から喜ばれているご文であります。

本日はこの「ご縁」というものについてお話させて頂きます。

まず、皆さんお一人お一人、ご自分のご家族のかたをひとり、思い浮かべてください。ご家族でもいいし亡くなった方でも結構です。そしてその人との初めての出会いの場面を思い出してください。

これは、皆様が頂いている尊いご縁の一つです。恐らく思い浮かべたものは一人ひとり違うはずです。地球上には60億人という人が生きているといわれます。同じ年代・同じ国に生まれ、そして家族になったとすると、もう奇跡に近い。

この「ご縁」とは何かというと「不思議な出遭い」とご理解ください。

私達は、様々な人や物から有難い「ご縁」を頂いて生かされています。「生かされている」と申しまたのは、私達は自分ひとりの力では生きてゆく事ができないからです。

私達はたくさんの命を犠牲にして生きています。中には私達に食されるために生まれてくる命もあります。最近では私達が病気になると困るから、アメリカから輸入する牛は20ヶ月で殺せ、とまで言っている。惨い事ですが、こうやって命を頂かないと私達は生きてゆけません。

決して自分や他人様の命を軽んじて扱うことはできないと、思い知らされます。今の人生を一生懸命生きなければ、頂いている命・ご縁に申し訳がありません。

そして、これまでたくさんの人と出遭い、ご縁を頂きました。先生に励まされ、友達と喧嘩をしたり、楽しい思い出を作ったり、家族に悩みを相談したり・・・。こういったご縁によって今の「私」が存在します。

頂いた「ご縁」は一人ひとり違います。だから、私達は誰とも違う、この世に一人しかいない尊い自分なのです。これをお釈迦様は「天上天下唯我独尊」と言われました。

私達の前にはたくさんのご先祖様がいらっしゃいました。そして命を私にまで繋いでくださいました。どなたか一人欠けただけでも今の私は存在しません。

すこし自分のことをお話させて頂きます。半年ほど前に父方の祖母を亡くしまして、お葬式に行ってきました。実はこのときが祖母との初対面だったんです。父が子供のころにその両親が離婚しまして、私の父は親戚のもとに預けられました。私はこれまで父から祖母の話を聞いたことはありませんでしたし、今生きているのか死んでいるのか気に留めることもありませんでした。お恥ずかしいことです。

しかし、初めて棺の中の祖母と対面したとき、はっとしました。この人が存在しなければ、私もこの世にはいなかったんだと、改めて気づかされます。ご先祖様に対する有難いという思いが湧き上がってきました。

たくさんの「ご縁」を頂いて生かされていると申しましたが、私どもの頂いている宗旨であります浄土真宗では、この「ご縁」に対して感謝する気持ち・思いを表す言葉があります。「南無阿弥陀仏」です。そして、この六字の名号が私達のご本尊なのです。

「南無」とは「ありがとうございます、感謝します、おまかせします」
「阿弥陀仏」とは「尊いご縁を下さる仏様、すべての人を必ずお浄土へ救うと約束してくださった仏様」という意味です。

先日亡くなった私の祖母はどうでしょうか。私たちに尊いご縁を下さり、阿弥陀様にお浄土へ救いとられて行った仏様です。すでに、阿弥陀様と一体になられているわけです。

ですから「南無阿弥陀仏」というお念仏は、ご先祖様により良い所へ行って欲しいというご遺族の祈りではなく、有難いご縁を下さって今までありがとうございましたという私達の思い、そして「私とご縁をもった者達を必ずお浄土へ救いとるぞ」という阿弥陀様と一体になられたご先祖様のお約束のお言葉なのです。

今後は、ご先祖様ひとりひとりがこの世に生を受けたこと、そして一生懸命に生きてこられたことに感謝してください。そしてたくさんの尊いご縁を下さる阿弥陀様に感謝の念をもってお念仏申してください。

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