宗派を超えた・やさしいPC法話

真宗の葬儀では清めの塩を
必要としません。

和田隆恩

私たちが生活の中で行っている風習には、宗教儀礼が慣習化されたものも多く混ざり込んでいます。清め塩も、死を穢れと見なすところから用いられてきましたが、疑問に思ったことはありませんか?

塩で清める穢れたものとは、亡くなった方を指しているのです。つい先日まで大切だと思っていた方を、亡くなった途端に穢れたものとして取り扱い“お清め”するとは、何と残酷なことでしょうか。全く道理に合わない、痛ましいことです。葬儀自体も穢れる行為だと見なしているということです。そう考えているということは、つまり、いずれは自分も穢れたものになるのだということになります。葬儀後に塩を撒かれるような穢れたものになる為に私は今を生きている、ということなのでしょうか?

                           合掌  

蓮ライン