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宗派を超えた・やさしいPC法話

仏様のいのち

湯浅信順

現代ほど「命の大事さ」が叫ばれる、混沌とした時代はないかと思われます。私たちは「命は大事にしなければいけない」ということは頭ではわかっているわけです。

しかし「いのち」とは本来何だろう?とか「いのち」を大事にするとはどういうことだろう?ということまで本当に考えたことがあるでしょうか?

南無阿弥陀仏の阿弥陀仏とは量り知れない「いのち」の佛という意味です。南無阿弥陀仏とは量りしれない「いのち」の中に私は生かされていたんだという感動の言葉です。

「命は大事にしなければいけない」頭ではわかっているわけです。しかし現実には人間は他の命をいただいて生きているのです。他の命を奪ってしか生きられない事実があるのです。

昨今の異常気象を見ますと、自然環境の破壊はいよいよ深刻と言えます。災害などが起こるたびに自然のしっぺ返しだということをよくいいますが、本当にそうでしょうか?自然は本来の自然に戻そうとしているだけなんです。本来のいのちの在り方に帰ろうとするのが仏様のいのちなんです。

自然保護が叫ばれますが、自然を壊し命を奪い続けているのは人間の方なんです。そんないのちを奪って生きてるような我々人間が生かされているのは、仏様の慈悲なんです。

仏さまの「いのち」の方が我々が考えるより深いのです。「命が大事」と言って頭で考えた命はいのちとは言えません。人間の方が上に立って眺めている命に過ぎません。そんな傲慢な私ども人間を見捨てずにいて下さった仏様のいのちの深さまではなかなか気付づかないものです。

私は自分の力で生きているわけでなく、いろんな人やいろんないのちに支えられて生きているのです。

その本来あるいのちのつながりに気づくことしか、「いのちを大事にする」ということは言えないのです。

仏様のいのち 南無阿弥陀仏について 考える機会を持ちたいものです。

                                   合掌  

蓮ライン