仏の目

唯釈

仏様は、この世の様相、特に我々人類の所業を、どのように診ておられるのだろうか?経典を読むとき、わたしは常にその想いが頭から離れません。

仏とは、別の言い方をすれば、目覚めし者です。古代インドの地で生身のまま悟りを開かれ、仏と成られた釈尊は、如実知見と言って、煩悩(ぼんのう)(さえぎ)られることなく、物事の本質を見極めるちからを得られました。

その能力によって釈尊は、この世の人々が気付かずにいた真理を明らかにしました。

「人々が悩み苦しむ原因、その多くは他から与えられたものではない。自己中心のこころや、煩悩によるものである」と。

はじめは半信半疑であった私でしたが、それまでの人生を振り返ってみると、思い当たることが、一つ二つと見えてまいりました。私は気付かぬうちに、都合の悪いことは他人のせい、社会のせいにしていたのです。

その勘違いはどうやら、私だけではないようです。その最たるものが戦争だと、私は思 うのです。

「戦争反対」とか「戦争はなんの罪もない人までも巻き込む野蛮な行為」といったことをよく見聞きします。もちろん、私も暴力は反対です。

ですが良く考えてみると、何か勘違いしているようです。戦争という野蛮な行為は他ならぬ我々人間が引き起こしているのです。戦争という名の生き物がいて、ある日突然、爆弾の雨を降らせるのではありません。

戦争という言葉に、恐れと憎しみを込めて非難する。それでこの地上から戦争が絶えてしまうなら、とっくの昔に平和な地球になっているはず。

本当に罪のない被害者は、人以外の生き物たちです。彼らは、何も知らされないまま傷つき、死んでゆくのです。

恐れるべきは、我々人間の中にある注釈我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なのです。

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我慢偏執----ひとりよがり・偏屈・片意地の意

「仏の目」は、経典の中の随所に見る事が出来ます。涙を流す事の出来る人であれば、必ず見えてきます。

ご安心を、ただしなるべく早く。  合掌


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