「仏智見 鬼(下)」麦里 法見法話-6

仏智見 -鬼(下)-

麦里 法見

本来的に鬼という人間ではない生き物がいて、その鬼が子どもを生み、子々孫々いのちを 伝承してきたように思い込んでいますが、実はやさしさを失った人間が、卑しき差別の対象 として、鬼を作り出してきたのではないでしょうか。

人間が鬼になったのではなく、人間が鬼を作り出してきた歴史なのだと思います。

人間が鬼を作り出し、その鬼に豆をぶつけて出て行けていう行事があります。他人に優越 を感じ、見下すような自分の中に住み着いた鬼に豆をぶつけて、追い払う日にしてはいかが でしょう。

それでは、鬼は人間になれるのでしょうか。

それは、人間のこころが偏見を持ち、鬼を差別の対象として見ることをやめることです。

ものの見方として、優越を持ち自己満足を得るための偏見と差別の意識を捨て、仏智見に 近づくことに目覚めることが、真実の世界を作り出します。

仏智見とは、優越の気持ちを持ちたいがための分け隔てを越えて、仏の智慧でものを見る こころの用きのことです。

願力不思議の信心は

大菩提心なりければ
天地にみてる悪鬼神
みなことごとくおそるなり

自分で善鬼神ではなく、悪鬼神をつくりだし、自分の生き方を狭くしているのが人間とい う存在です。

伊藤遊さんの『鬼の橋』は、主人公である小野篁の、少年らしい心情の機微が経(たて)糸 となり、少女阿子那と鬼の非天丸の人間愛が緯(よこ)糸として、人界の時代模様を織りなし てゆく作品です。

物語の中で、鬼の非天丸は、「浄土」に行くことを望んでいます。

そのわけは、「そこが人と鬼が区別なく住める世界だから」です。

こころの中に角を隠し持った人間はたくさんいます。頭に角がついているからといって、 外面で鬼だといって鬼畜の扱いをするのは、仏の智慧ではありません。

人間になりたいという鬼の非天丸の願いを、実現することになるこころの在りようです。

南無阿弥陀仏

合掌


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