一周忌と供養

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自坊のとある檀家さまの一周忌のときに致したお話を掲載させていただきます。

〇男さんがこの世を旅立たれてから、ある程度の日数を経ましたね。ご遺族の皆様におかれましては、四十九日や百か日などからさらに時間が経過しまして、少しずつ普段の生活に落ち着かれつつあるかなと存じます。

とはいえ、まもなく丸一年ということもあり、季節の運びとともに悲しみが再び現れていることと拝察致します。

本日ここに一周忌のご供養をご一緒にお勤めすることができました。供養とは、故人さまのご冥福をお祈りすることはもちろんですが、残された私たちこそが仏さまになっていくことです。言い換えれば、私たちの方から、供養という仏事を通して仏さまに近づいていくこと。これに大きな意義があります。

住職としてお仕事をしておりますと、法要中じっとしていられないお子さんが時々いらっしゃいます。年齢相応のことや個人差があるのはもちろんですし、何より子どもは遊ぶのが仕事ですから、じっとしていなくても構わないのですが、いざお焼香のときになると、親御さんや周りの人の言うことをきいて、しっかり香を焚いて合掌するのです。さらに、導師に対しての低頭を誰よりも深くする子も多くいらっしゃいますというのは、おまけの話ですが。

さて、今お話ししましたお子さんたちのように、私たちは、その場その瞬間で仏さまに近づいていくことができます。手を合わせているときというのは、良い意味で他のことを考える余裕がない状態とも言えます。その場その瞬間に徹すること、供養に徹することで仏さまと繋がっているのです。残された私たちが、仏さまのような心で生活していることが、故人さまにとっても嬉しいことですし、何よりの供養になるのです。

どうぞ、これからも仏壇やお墓の前で手を合わせているときには、「今自分は仏さまと繋がっているのだな」と感じていただきたいです。

合掌




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