「佛への道」村上了山法話-4

佛への道

村上了山 

本(もと)より学文候し事は、 佛教を究めて佛になり、 恩ある人をも扶(たすけ)んと思う。 佛になる道は必ず身命を捨(す)つるほどの事ありてこそ、 佛にはなり候らめと推し測(はか)らる。

 (佐渡御勘気鈔より)

佐渡へ流罪になる矢先、文永八年(西暦1271年)九月にこの書は書かれた。

たとえこの先どんな苦難、困難が待ち受けていようと、『恩ある人』そしてすべての衆 生を救いたい。その為には佛の教えの王である「法華経」を学文し佛になるしか道はな いのだ。と日蓮聖人は思われた。

そして佛になるには身命を捨てる、それ程の覚悟と志を持って生きなければとても佛に はなれないだろうと推されたのである。

志というと、大志とか人はとかく大きな事を言う。しかし、自分の為の志など大志では なく、ちっぽけな自分の欲を満たすだけの欲望の類でしかない。

本当の大志とは、自分の欲を叶える程度のものではなく、誰かの為にありたい。それは 自分の為でもあるのだという心から起こってくるものであるはずだ。そしてその志はま さしく佛の志、日蓮大聖人の志であり、必ずや仏法僧三宝の加護を受け叶うべきものな のだ。

「佛」への道は、たとえ人に笑われようと、たとえどんなに年を取っても、誰かの為に 生きたいと願い志を立てるところから始まるのだ。

今、この時、この場より志を持って、佛への道を歩んでいただきたい。それが釈尊の願 いであり日蓮聖人の願いにも繋がっているからである。

合掌


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