「善根の功徳」村上了山法話-6

善根の功徳

村上了山

此(これ)は日蓮を御くやう(供養)は候はず、

法華経の御くやう(供養)なれば釈迦佛、多寶佛、十方の諸佛に、

此の功徳はまか(任)せまいらせ候。

(窪尼御前御返事より)

善根(ぜんごん)=良い結果を招くもとになる行為、善を生じるもとになる行為 は大きければ大きいほど良いわけでもなく、小さいから悪いなどということでもない。

例えば、悪事をはたらき盗みを犯して得たものを供養したり、生き物の命を奪って供養したところで、それは悪業(あくごう)をつくり出すだけである。

すなわち他者の苦しみや犠牲の上に立った根っこが腐った不浄な御供養をいくらしたところでそれは善根功徳とはなりえない。

だから、たとえ神佛や苦難の渦中にいる方への施しであったとしても、根っことなる行為が不浄なものであるならば、それは功徳とはなりえないのだから、本人の成仏どころか、子孫の断絶さえも免れられないと日蓮聖人は語られている。

一方、自ら汗をして得たささやかな財を以て善根を施しても、その相手が供養を受けるに相応しくない者であったなら、よき種を悪田(あくでん)に植えてしまった結果、大損害を蒙るが如く、供養の功徳は水泡に帰し、「善根功徳」とならないばかりか、かえって悪道に堕ちることになるとも語られている。

今、皆様がなされるこの御供養は、至らぬ足りぬ日蓮への供養ではないのです。

私の身を通して行ったこの御供養は、唯一無上の尊き法華経に対するものでありますから、その功徳は、釈迦佛、多寶佛、十方の諸佛のお取りはからいにお任せいたしましょう。

法華経への帰依=法華経の信仰を生きる、これこそ正しき「御供養」であり、この「善根」は必ずや佛に届き「功徳」となると御聖人は仰せられているのだ。

合掌


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