「報恩講」について

釋 裕聖

今日は,「報恩講」について,お話させて頂きます。ご讃題としては,仏説無量寿経の讃仏偈を考えております。報恩講は,浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日,現在の暦では,1263年1月16日であるので,祥月命日(しょうつきめいにち)(ご往生された月日を指します。) この前後に,宗祖親鸞聖人に対する報恩謝徳(ほうおんしゃとく),すなわち,恵みや恩を受け,それに対して感謝し報いようとすること,自分のできる限りのことをしようという気持ちを持つことです。ですから,ご本山では毎年1月9日から16日まで御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)をお勤めしております。もっと分かり易く言いますと,報恩講は,親鸞聖人のご命日にあたり,改めて,阿弥陀如来様のお慈悲に照らされている我が身に気付き,お伝え下さった親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ大切な法要です。

では,親鸞聖人が伝え下さった阿弥陀如来様のお慈悲とは,どのようなものなのでしょうか。それをよく表しているものとして,仏説無量寿経の讃仏偈にある次の言葉があります。読んでみます。「知我心行 仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」 です。訳は次のようになります。「私の心や行いを見ていて下さい。仮にこの身が滅びようと,どんな苦しみや毒の中に留め置かれたとしても,それによって救われる者がいるならば,私は,その苦しみを引き受け,精進し続けます。どんな事にも耐え忍んで,決して後悔はしません。」という意味です。阿弥陀如来様の決意が知れるとてもPositive な言葉です。阿弥陀如来様に帰依している我々にとって,機無(きむ)・円成(えんじょう)・回施(えせ)という仏願の生起本末(しょうきほんまつ)に感謝し,今日の,今の私の命をしっかりと受け止めていくという事の大切さを再認識させて頂くことになるのではないでしょうか。

機無とは,衆生(我々)には,仏になれるような因である清浄心,真実心がないこと すなわち,我々には,元来 仏になれるような素因は持っていないということで,これを機無と言います。円成とは,この機無をもととして法蔵菩薩様が衆生(我々)のために本願を立てて下され,清浄心や真実心を持って行を行じられ,名号(南無阿弥陀仏)を成就なされたこと これを円成と言います。 回施とは,不可思議功徳の名号(南無阿弥陀仏)を阿弥陀仏様が衆生(我々)に向かって等しく与えて下さることを回施と言います。このように,仏が衆生(我々の)救済の願を起こされたこととその願を成就して現に我々を救済していることを仏願の生起本末といい,そのことに感謝いたします。

このような阿弥陀如来様に帰依し,生活していく事が,心豊かな社会の実現に貢献していく事になるし,そのような縁を作って頂いた親鸞聖人に感謝し,阿弥陀如来様に帰依し,生きていく事が大切であることを再認識させて頂いたのが,この「報恩講」の法要であったように思います。もし機会がございましたらお寺の報恩講に参加して頂ければと思います。

本日はこのような仏縁を作って頂きありがとうございました。

「南無阿弥陀仏」    合掌




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